ふわとろオムライスの作り方

言語のプールの外で

本来同じものだったが違う言葉が与えられた

 本来、人の生と性は同じものだったんだよアララギ君、元々セイしかなかった。そこに政、政治が分け入ったんだ、人間の生殖という機能を集団のサイクルの中に取り組むこと、これが初期の政治では重要なことだったんだ。このとき結婚、後に戸籍などの虚構が生まれた。 政治によって生から性を分離させて考えさせるようになったんだ。

忍野メメかな?

0424/18

ヒメゴト19歳の制服という漫画を一気読みした。

どう見てもえrマンガです本当にありがとうございましたゲフンゲフン。

人間関係の細かい揺れ動きを追うのがめんどくさいので重要でないとこは流し読みしました。

さて、言及したいのは何と言っても永尾未果子というマジキチキャラ。

狂っているキャラといっても単に行動が滅茶苦茶なのではなく、そのキャラの中の価値観や論理の軸があってそれにひたむきに突き進む感じが見ていてとても小気味が良い。そのキャラの価値観を補強、強固にする行動を取りつづける。狂っているキャラを作る時のお手本にしたい感じだった。

前半における客をたくさん相手にすることで自分の価値と自分の世界観を守っている、というところまでは、まだ他の物語でもある設定かなと思ったけれど、後半において、客を驚かせて逃げるのを見ることに快感を見出し始めるくだりはかなりキチガイ度が高くて面白い。自分で客を作って楽しみ、そして壊して楽しむ。創造と破壊は表裏一体。どこまでも愉快犯的だ。その行動にも裏付けがちゃんとあり、今までの人生において昼でも夜でも逆らえず、絶対的強者と思っていた男性、おっさんたちが、自分の作戦に怯えて逃げていくところを見たことが、彼女にとって愉快で仕方なかったからだ。

最後は自殺しそうだなあと感じたけど、お金を稼ぎまくることに意義を見出したようだった。(自殺エンドでもキマると思う)つまり、今までは自分を取り巻く世界への反抗としてヤケクソ的にやっていた状態から、他のキャラとの関わり合いの中で世界と折り合いをつけることに成功し、自分の才能を再発見し店に就職、という心境の流れなのだと思う、個人的に主人公はこの人だと思っていたぐらいなのでそこらへんの内面描写があってもよかった。

作者は天才。

0418/18

他人から見れば不合理な行動でも窪みの内側にいる人から見れば最適解になっているということがよくあるかもしれない(人間の自殺は局所最適解)

転職を繰り返すとかも外から見れば不合理だけどやってる側からは極めて合理的な選択かもしれない。

自身が派遣社員で派遣制度に文句を言うとかも、窪みの内側だ。自分が派遣社員じゃなくなるという選択肢にチャレンジするよりは、自分は制度の被害者なんですよということにした方がよほどエネルギーの都合がよく合理的だ。(実際被害者なのかもしれないが)

 

窪みから抜け出すのが難しいものがたくさんある。

0417/18(2)

人狼Jにハマって土曜に10時間くらいやってた。

人狼J楽しい、対面人狼は知り合い同士というバイアスがあるのと口頭でログが残らないのがゲームとしてつまらなかったけど、匿名チャットでかつキャラが決まっているとゲームとして熱中できる。

人狼をやっていると普段使わない思考回路が鍛えられている気がする、周りに嘘つく人がいないので嘘ついてるかどうか気にする必要がないわけだけど、このゲームは違う。しかも自分も嘘で対抗しないといけないというスリルがある。

 

重要だと思っているのがグレーの市民が市民アピすることに関する難しさと狩人の生死を知ること。

市民は、進行役(霊能とかパン屋とか)から狼と思われてないと思い込んでいる人が結構いる。

人狼2の場合1人は騙り出ても片方は市民に溶けて潜伏パターンが多くて、そういう狼は市民より発言が市民らしい。下手に市民が「私は市民なんで」とか軽々しく言ったり、発言がキツすぎたり村の考察放棄してると狼にしか見えなくなる。

逆に潜伏狼の方が盤面がよく見えていて、最後まで市民サイドや進行に親身に味方しているフリをし、例えば霊狼市狂占→狂吊り、占い噛み→霊能 狼 市民 になり、市民吊りに持って行き勝利というパターンがわりとある。

霊狼市になったらもうわかりようがない。なので、5人の時に狂人吊らないで狼打ちに行きたいが、この時の市民と霊能の動きがとても重要になってくると思う。

その役職しか絶対に知り得ない情報というのが自分を証明するのに役立つ。

5人の時市民しか知らない情報は例えば、狩人の生死だ。

狼から見ると白が市民か狩人かこの段階ではわかりようがない、おそらく死んでるだろう、が確証はない。

ここでは市民しか狩人が死んでることはわからない。これは市民アピするときに重要だ。

 

市民でなく狩人が生き残ってる場合は難しい。その日狼吊れる流れがあるなら、いっそ自分は狩人でなく市民で狩人は噛まれて死にましたということにしてた方がいい気がする。

狩人Coするとだいぶややこしくなる。

狩人Coして、狼が対抗Coした場合は狂吊りになる。泥沼感があるが、でもここで防衛先を指定して霊能守り、占い守りで分けていると、死ななかった方を指定したのが真と証明できる。

狩人Coして、狼が対抗Coして、自分は市民だよ吊られてやんの狩人もう死んでるのにプギャーすると狼吊りに持っていける気もする。 狼目線、狩人いないだろうと思っているだろうから、狩人Coしても市民から対抗が来るとは思わない。

狩人Coして、狼が対抗Coしない場合。 これは狩人にとってキツイ。狼が吊り逃れのために狩人Coしているように見えてしまう。自分は市民で対抗で釣りたいからCoしたという流れならまだワンチャンあるが結局釣れなかったのでキツイ。

普通に狩人Coして、狼からの対抗なしでも、狂吊りして守り先指定ができれば最終日に自信が真であることを証明できる。

GJとろうとして狩人潜伏、外してから最終日に狩人Coするのがもっともよくない。泥沼になる。

 

狩人Coはとにかく難しいので、狩人Co=タブーみたいになっていることが多い。霊能目線でいくと

5人の時に霊能が今すぐ狩人Coしろ!というと、「ここで狩人Coないでしょ」と狼は言う(狼からすれば市民に溶けたまま生き残る方が楽なので) さらに狩人も「ここでは狩人Coないでしょ」と言いたくなる(対抗出てめんどくさいから、密かにGj出すことを狙ってるタイプ) しかし市民だけは狩人はいないよと即答できる。

人狼相手に、「ここで狩人Coはないでしょ」護衛先に占いか霊能か指定してくれとなると判別がつくと言うとCoしてくれる可能性がある。  

 

まとめ

(GJが一回も出てない場合)

霊能の「狩人Coしろ」に対しては、自身が狩人でも「狩人はもう死んだよ、だって俺市民だもん」「これ狼にはわかんない情報だよね」とかで、狼が動揺するのを見る方がいい。狼が狩人Coした場合、普通にCoした方が怪しく見えて吊られる。ラスト5人で狩人が生き残ってる可能性がだいぶ低い。

 

これ逆に、自身が狼のときに決め打ちで「狩人は死んだね、これ狼にはわかんないよね」と言うと、市民狩人吊りに持っていける可能性もあるか?

真狩人がキレて狩人Coしてきても、一回もGJが起きてないと狩人死んでると市民サイドなら考える。GJ出せてない場合の狩人Coは、真狩人だとしても危険。ここで進行が用心深くなくて、即吊りされる可能性がある。

 

もし進行が用心深く、ここで狂吊りにもっていけば、真狩人が勝つ確率の方が一応高い。

真狩人「うーん俺真狩人なんだけどなあ」「これは狩人死んでるでしょ」「お願い狂に行ってくれ、GJ出せるかもしれん」「うーん狼の狩人騙りかもしれんがわからん、安パイで狂つるか」

次の日に人狼は狩人噛めば霊占狼になって負けなので、霊能か占を噛む→ここで1/2のGJが発生し

せず、さらに次の日に1/2で吊りに選ばれて1/4の確率で狩人側の負け筋がある。

 

逆にこの手法を狼が狩人騙りのときに使った場合、負け筋1/2なので結局最初の運ゲーと変わらない。

むしろ発言にちょっとでもボロがあれば1/2より吊られる可能性高くなりそうなのでだいぶコスパ悪い。

真狩人の最後の抵抗としての狩人CoしてGJ狙いは意味がありそう。

前日GJしてて狩人Co求められた場合は、Coして自身は噛まれて死ぬ方がいい。対抗で人狼が狩人騙りするのは人狼側の悪手オブ悪手、本物の狩人を噛めなくなる。(噛んだら次の日即釣りなので)

 

霊村占狂狼という状態で狂吊りからの最終日1/2で負け、またはグレー吊りで1/2で負けになるよりは、狩人絡みの議論を自然に出してこれに勝つと、自身が市民でも狩人でも霊でも占でも狼でも、運ゲーにならず勝ちにもっていける気がする。

 

0417/18

SFとファンタジーの違いは世界の原動力の違い、液体燃料か何か石とかのパワーみたいな違いだと、誰かが言っていた。

ところでインターネットの原動力は何ですか? これは最近の確信だが、インターネットの原動力は人間の暇な時間だ。人間の暇な時間というのはこの世で1番尊い古今東西、人類が文化や文明を発展させてきたのは暇な人が一定数社会の中で確保されていたからだ(流れるようなニート肯定)

消費社会、インターネットは人間の暇な時間で動いている。ここで問題提起、暇な時間でやったことが生産的でかつ自分の利益としてフィードバックされるなら構造は健全であるが、それがなく、暇な時間を搾取し続けられる構造は不健全である。

例えばSNSは暇な時間搾取により利益を得ている、LINE、FacebookTwitter等は現実や人間社会と密に結びついているから、それらの情報を気にしてしまうし、人はそこで時間を過ごす。よりたくさんの時間を過ごしてもらうことが運営元にとっては重要だ。

そうして、取られた暇な時間が正のフィードバックを生み出すのは一部の人だけで、たいていは暇な時間を搾取されて終わる。

個人的にぼーっとしているときに重要なことを思いつくことはとても多いと感じていて、暇を大事にしなければなあと思った。

0226/18

http://yuiga-k.hatenablog.com/entry/2018/02/23/113000

 

む〜すごい考察だ。

これを考えると、広く認知されている天才とは殺されなかった天才のことだということになる。

天才気質の人、つまり行動の軸を世界をよくするという創造性に置いている人は割合としては少ないが絶対数としてたくさんいる。彼らの中で殺される前に成果を出すことができた人のみが、凡人の間で天才として認知される。