ふわとろオムライスの作り方

言語のプールの外で

0214/18 No.2

食べる前に味を想像するとか、図書館に行く前に図書館の内装を想像するとか楽しい。想像と現実のギャップを認識するのも楽しい。

活字中毒の有効活用、これは大事だ。とりあえず手元に読むものがなかったら何でも読もうとする。

これを有効活用すれば積み本もあっという間に消化することができる。

 

インターネットの有効活用について考える。

インターネットを使っていて得していることも、損していることもあるはず。得しかしないようにするにはどうすればよいか?

0214/18

私たちは一体どういうゲームに参加しているか知っているか?

ゲームとはディスプレイの中だけの存在ではない。なぜなら反例としてボードゲームが挙げられる...

そういう冗談は置いておいて、生まれた時から資本主義の国に生まれ、学年や階層を上がるたびにそのシステムの中でのルールやゲームに参加している。ルールはあるあずなのに、ルールを説明する人はいない。

テレビゲームやボードゲームはなぜゲームとして人に遊ばれるか。ルールが明確で、何を最大化すれば良いかということが明確であるからだ。

生きている限り常に問う必要がある、一体今、何のゲームに参加していて何を最大化すればゲームクリアとなるのか?言語化して明文化する必要がある。

0213/18

C 言語ポインタ基礎中の基礎の図解 - Diary of Dary

 

この説明がシンプルでとてもいいなあと思った

何かを説明するときは一本筋が通っていて余計な情報が少ないほどいいのかもしれない。

 

メリットがどうこう、変な比喩もなく、それが何か、ということを説明する文章のお手本だなあと思った。

 

これを読んだ後に、

http://www.is.titech.ac.jp/compview/clang/chap9.html

を読むと、とても意味がよくわかる。

 

読む順番は大事ですねー

ポインタを上手く使ってバグを回避できてよかった。

こうやってちょっとずつ良くなっていくしかないですね

0213/18

雑感

どれだけ哲学が好きでも哲学科になんかは行くところではないという思い込みがあった

そもそも哲学科という場所があることを知らなかった、割と数学についてもそういう思いだったが...

 哲学は新しい世界観を提供するだけで、真偽判定が可能なことや真理について触れようとしているわけではないのではないかという思いが最近はしている。哲学科の人に普段何を考えているのか聞いてみたい。

哲学というのは、もはや人の気質な気もしてくる、どれだけ哲学について詳しくてたくさんの思想家の名前を挙げて説明できても、その人自身から哲学のにおいがしてこないと、ただ勉強熱心な人という気がしてしまう。

 

音楽の話

中古のバイオリンを探している。

イギリスの路上とかで民族音楽を演奏してるおじさんみたいなやつになりたい。

楽器は他人から習うものという日本人の思い込みを逸脱できるようにやっていきたい。

(ただ音を出すのが楽しいだけだけど)

弦は打ち込みと生の違いが大きいので弾いてるとアーティキュレーションの理解に繋がり、ストリングアレンジとか捗るはず。

家の作業スペースをもっとよくしたい。今は机が小さすぎる。

LaunchpadとLiveを使いこなしたい。

 

大学の話

授業を聞いて黒板をノートに写すという行為が、小中高大とやはり一回もできなかった。

ただやる気がないだけだと思っていたけど、やる気以外の原因がある気がする。

そういう人は大勢がやってるやり方とは違う方法でやっていかねばならない。

関連書籍や英語版wikipediaとかを読んでおいて、手を動かし自分の雑感や問題意識をiPadのメモにひたすら蓄積して検索可能しておく。読んだ量に対して自分で手を動かした量がかけ算で効いてくる。

講義はテスト範囲と日時と単位取得条件を聞くためだけに出る。すでに読んで書いたことならだいたいわかってるので、適当に本を読みながら講義室に存在する。他の用事があるならサボる。これなら先生の話に集中して板書を書き写すというしんどい行為もしなくて済む。

 

最近ひらいた本の話

「物理数学の直感的方法」長沼伸一郎著

>〜は高校時代、はたからみるとあきれるような誓いを頑なに守り続けた。

>それは、数学と物理に関しては授業からも人からも聞くこともならず、教科書や参考書は目次以外の項目は見てはならないというものであり....

こういうことをする人が存在するという事実が面白いなあと思ってしまう。

たぶんこの人はなにか根本のアイディアが生まれる瞬間を追体験したい、感じたいという欲望に動かされてるのだと思う。僕も昔は答えや解説を見るのが嫌で仕方がなかった。

誰かがアイディアを思いついたときのそれは、誰でもわかる形をしているが、その後の秀才たちがエレガントな形に整備しきってしまうと、根本の発想が見えなくなってしまう。

作曲においてもモチーフが編曲されて曲になる。編曲という作業はより曲をエレガントにするために行われる。

パッと聴いてよくわからないけど美しくて凄くするのが編曲。モチーフを思いついた瞬間のわかりやすさは徹底的に隠す。なぜなら、すぐわかるようなものには価値がないと思われてしまうから。とにかく深淵さを出せば出すほどいい編曲になる。 数学も完全にこれ。

 

プログラミング

segmentation fault(コアダンプ)つらい

 

0212/18

文字を読むことと、肉体労働することを天秤にかけなければならない。

生誕以後、あまりにも文字を読みつづけることを当たり前だと思っていたので気づかなかった。そのとき興味のあることだけを、何の得にもならない情報を読み続けることが好きだったが、社会の階層、階級を考えると僕は読む行為と肉体労働を天秤にかけて考える必要がある。

じつは、文字を読むのが不得意な人は肉体労働をするしかないのだ。

僕は肉体労働をやったことないので本当はそれを天秤にかけることができないのだが、おそらく文字を読んだり書いたりするほうが僕にとっては100000倍楽だろう。

肉体労働は苦手すぎて出来ない。

 

文字を読むスキルを上げる、数式が読めるようになる、楽譜が読めるようになる、コードが読める書ける、技術書が読めるようになる、英語やフランス語が読めるようになる、論文が読めるようになる... こういうスキルは、僕の世界に対する興味や問題意識とは独立して存在する、肉体労働と天秤にかけて考えるべきものなのだ。

数式洋書技術書楽譜は読めないと本当にマズいなと思う。日本語空間はこれから衰退していくばかりなので、ろくな情報が残らず置いて行かれる。日本語版wikipediaと英語版wikipediaを見比べれば差がよくわかるし、本のタイトル一つとっても洋書は常に観察眼や切り口が鋭いものが多いなあと。日本語のプールに浸かってしまっている自分からは思える。

僕の興味と問題意識とは別に、階層階級意識と肉体労働を考えてやっていかないといけないものなのだなあと再認識した。

 

0211/18

飲食店でご飯を食べてたら隣の大学生の普通すぎる会話が聞こえてくる。

GPAが〜 単位が〜 ワンチャン 俺たち◯大生は〜うんたらかんたら....

なぜか猛烈に気分が悪くなってくる。僕には全く意味がわからない。

こういう人たちと生きていかないといけないんだなあ、とつくづく思う。

結婚が〜上司が〜わが社が〜年収が〜子どもが〜とか数年したらそればっか言っているんだろうな。

魚が水から上がれないようにこの人たちもシステムの中でスイスイ泳ぐのが得意で、好きなのだ。

僕が実存がどうこう、言語がどうこういつも思ったり悩んだりしてる間にこういう普通の人は普通の悩みを持って生きているんだ。

僕は普通の人の悩みとは違う悩みを持ち続けて生きてきたと思う、それが悩みであるということすら内面化するのに時間がかかっている、なぜなら悩みだと大勢の人に認知される社会的な場や文脈に巡り合わないとそれが悩みだと意識されることはないからだ。たとえば、恋愛について悩んでいる人は世の中のたくさんある恋愛相談などの文脈に自分を照らし合わせて悩みを認識し解決に向けて文脈内で行動することができる、しかし地球が完全な球でないことについて悩んでいる人がいたとしても、それが悩みであるとは気づきにくいのだ。そんな悩みの文脈はこの世に存在していない。

世の中にたくさんいるのは普通の感性の人である。それに年齢が上がるにつれて普通の人の群れでの結託力や、様々なことに対して疑問を抱かない従順で受容的な性格が社会の中で生きていくことに対してプラスになっていく。社会で僕が彼らに勝てるような世界は少ない。僕が努力すれば何とかなる話だが、普通の人に負けたくないというモチベでどこまで行けるだろうか。そもそも普通の人と同じ土台で勝負してはいけないんだ。

しかしやはり何の土台にせよ普通の感性の人に負けるのは腹が立ってくる。感性がおかしい人に負けるのはなぜか許せるし、むしろあなたこそ素晴らしい人だと言いたくなるけど、やはり普通の人がきらい。

0210/08

脱言語していきたいなあ〜と思う 言語は本当に人を堕落させてしまう。

標語:脱言語、入世界! 感じる光や音や温かさが全てなので。

 

10代で悩んでいたこととしては、なぜ言葉では100パーセント表現仕切ることができないんだろうということだったけど、なら言葉を消せばいいやって感じに今はなっています(恋愛サーキュレーション)