ふわとろオムライスの作り方

言語のプールの外で

1214/17

今日のポエム 

数学をメイドインアビス風に

 

人類にとって未知の領域が存在するアビス(数学)にはさまざまな遺物(公理や定義や定理)が落ちていたり、動植物(概念や問題)が自生している、大昔の人間が生み出したものもあれば、自然に生まれたようなものもある。

1度、奥に(下層)進んでしまえば、2度と上層(以前の認識)に戻ることはできない。

そんな数学という、ひとつのおおきな世界の中で今日も暮らす概念たちの姿は、時に可愛いらしい造形だったり、見るものの心を折ってしまうようなグロテスクな化け物だったり、多種多様である。(ネリタンタンとかベニクチナワとか)

しかし誰が意図したのかわからないが、その概念の構造において奇妙な共通点がある。それらの共通点についてまとめた図鑑が探掘家(数学者)によって執筆されている。 (群体環などの代数系圏論などのこと) この概念たちの図鑑読むことで、困難を極める奈落の底への旅への見通しがよくなるだろう。

 

(解析はどんな表現がふさわしいだろうか)

 

オイラーの公式とかの奈落の至宝感は異常

 

高校生〜大学生    赤笛 (見習い)

大学生 〜  院生     青笛 (一人前)

院生 〜 助教授        月笛 (師範代)

教授 〜 図鑑の著者  黒笛 

数学界に大きな影響をもたらした伝説的な数学者   白笛

 

白笛の声は数学の声←かっこいい

 

「今答えが見つかるなら 全て無くしてもいい」←なける

 

「今この目で見つめるのは 暗闇のその向こう、

    光よりも輝かしい  謎と真実が見える」       ←なける

 

「もし答えを知ったのなら何かが変わるのかな

    ふと迷う僕らの背を 憧れがまだ押してる」←なける

 

「それが呪いでも 鼓動は本物」 ←なける

 

 

1208/17

大学のwebで提出する課題があって、説明(特任教授が書いた)の中で用語がリンクされてたのでwikipediaかな?と思って押して飛んだらwikipediaだったのがツボって笑ってしまった。wikipediaをディスりまくる教授も中にはいるけど、全般的にwikipediaとズブズブになっている。数学や物理やコンピュータ関連(そういうえば、向こうでは理系とか言わずにSTEMと言うらしい)についての用語に関しては英語版wikipediaが圧倒的に充実している。日本語版wikipediaの方が充実している時代は永遠に来ないし、あと30年以内で日本語で得られる情報はどんどん貧しいものになっていくんだろう。そう考えていると英語に投資し続けないといけない感じがする。

 

TOEICを初めて受けてわかったけれど、TOEICに名前をつけるなら"ビジネス英語に関するリスニングとリーディング選択式テスト"だなあと思った。ビジネス英語ではわかりやすい完結な言い回しが好まれるので、簡単な動詞+前置詞の言い回しが英語のニュースや論文に比べて異常に多い気がした。なので句動詞に関する本を買った。あと趣味で語源の本を買った。

 

TOEICの問題集をやる気が全くおきない。そもそもまだ買ってないのだが、しんどいなと思う。なぜか。

英語基礎力 + 英語を聴き取る耳の力という土台がまずあり、その上にビジネス英語力があって、さらにその上にTOEICというテストに対する形式/パターン慣れという構造になっている気がする。TOEICを目標にしてパターン慣れなどという無意味な勉強をするより、英語で書ける話せるという方を目標にして英語の勉強した方が良さそうだからだ。(少なくとも英語で論文が読める、あと書けないと大学の中でしんどい思いをすることになるだろうという予想がある)

 

日本語を書くときであっても、英語に自動翻訳でなるべく直しやすいような文構造と語彙を使うことがだんだん求められていくようになるんじゃないかなあと思う。

 

話を戻すけど、TOEICは"ビジネス英語に関するリスニングとリーディング選択式テスト"みたいに固有名詞にわかりやすい名前をつけて世界を理解していくことは大事なんじゃないだろうか。

数学で定理の命名方法で、「(数学者の名前)の定理」というのが大量にあるけど、あれはどうなんだろうと思う。もし化学で、化合物の名前を発見者の名前にしてたらカオスすぎると思う。

まあ、化学の相手は自然だから、人の名前が付くのは実験法とか合成法に限るんだろう。逆に、数学の定理に数学者の名前がついてしまうところに数学の属人っぽさを感じる。

名は体を表すをモットーに、(数学者の名前)の定理に名前をつけていきながら勉強しようかな。

ハイネの定理...はコンパクト集合上関数一様性連続定理⁇ 長ったらしくなるから数学者の名前をつけるしかないせいのなのかもしれない。

1207/17

小説が読めない。

昔は読めたし感情移入もできたような気がするけど、今や小説内に書かれてることが全てどうでもいいと感じてしまう。

1206/17

新書とかちょっとしたものは電子書籍でいいけど、体系的に書かれていたりするもの、教科書や辞書類は紙の方が良いなあと思った。

めくっていると調べていること以外のいろんな情報が目に入ってくるのがよい。iPadや電子教科書は便利だけど紙に勝てない部分があると思う。いいところ取りしたい。

1205/17

だらだらと経済関連のニュースをwebで見てたら「恋愛に向いてるひとは株や投資に向いてない」と書かれたページを見つけて笑ってしまった。(リンクはしない)

ほとんどの人間は感情的な生き物なので、恋愛に向いている、反面、株や投資は感情を排した、論理と客観的な判断の世界であるから、感情的な人が参加すると、儲けたいという感情や、こうだったらいいなという希望的観測により盲目になり判断を間違って一瞬で財産を失う、という主張だ。

とくに株や投資はやってないのだけど、自分はとても向いている気質かもしれない。

悲観や厭世は文学や哲学や芸術では役に立っても、全く現実世界には良い結果を与えてくれないもの、むしろ負の影響を与えるものだと思っていたけど、なるほど、いいこともあるのかもしれない。

 

対人ゲームが好きなのだけど、CPUと戦って勝つより、人間に勝つ方が楽しいと感じる。さらに負けても一切腹が立たない。「負けても腹が立たない」というのはある種の才能だと思うことにした。

おそらく、勝つことそのものより、勝ち方を考えるのが好きだからだと思う。たまたま、運で勝っても何も楽しくない。

そういえば、自分というプレイヤーの行動に対して、相手が読んでくる内容の、さらに裏をかくようなことをするというのが、1番対人ゲームで相手に刺さる戦法だと思っている。2015年のスプラトゥーンでは、そういう一瞬の駆け引きが楽しすぎた。

「予想されるパターンからの逸脱」からの逸脱、というものが、世界ではとても重要なのではという気分になってくる。メタのメタ。物理で運動は速度ではなく、加速度に支配されている感じに近い。

面白いと思うのは、メタのメタは重要だが、さらにメタのメタのメタまでは考える意味がない、というところだ。

加速度を時間で微分した量には名前が付いていない、つまり考えてもあまり意味がないということだ。

 

ポップスの作曲などでは、ありきたりなフレーズに捻りを入れることが1番重要だ。捻りとはリズムが前のパターンからすこし外れたり、調号が付いたり、代理コードなど普通でないハーモニーを当てたりすることで得られる。しかし本当にセンスが問われるのは捻り方であって、ありがちな捻り方をしてしまうと、捻りの意味がなくなり、もはや陳腐化してしまう。逆に、予想外の捻り方をされると絶対に聴いていて楽しくなってしまう。

1203/17

土曜日は1週間の疲れで午前~昼が完全に無になってひたすら寝てしまう。金曜日の夜に全ての神経を疲れされるようなものと関わるのをやめれば土曜日を元気に過ごせるのではという真理に気づき始める。

 

3pomodoro作業したあとの休憩時間に日記に書いている。

勉強のまとめを書く。ルベーグ積分について。確定した性質は集合として数学的な対象となるという集合論の思想を取り入れることによって定式化された。集合Aを覆う、というのは性質であるから、Unionを取ってAを覆うような可算無限個の有界区間をとる。これがAを覆う可算無限個のパネルや箱で、さらにこの区間一つ一つの面積または体積の無限和の集束値たちは、またしても実数の集合の中で確定した性質を満たすものであり、この実数集合のinfを外測度と呼ぶことにした。

外測度が0の集合を、零集合と呼ぶ。

零集合は体積がゼロの集合を包む概念で、ユークリッド空間においては、体積ゼロならば零集合である。 また、体積確定でないが、可測で測度が0となるような集合がある。たとえば実数閉区間[0.1]上の有理点の集合など。

コンパクト集合では体積ゼロであることと、零集合であることは同値である。

(まとめおわり)

今から関数fがある区間上リーマン可積分であることと、ある区間上でのfの不連続点が零集合であることが同値である証明を読みます。目がつらいにゃん。

 

1128/17

めんどくさいことをすぐ投げ出して他のことをする癖がある気がする。対象には辛抱強く向き合った方が良い。

数学で、最初わからなかった概念を無意識に放り込んで1週間ぐらいおくと、(概念が)めちゃくちゃ自然だと感じるようになってくる現象は何なんだろう。n次元で成り立つ定理や概念はやはり1〜3次元で確認しておくことが必須だなあと思った。いきなりn次元で考えるのは全然良いことではなくて1〜3次元の例から帰納して考えることがとても大事だと思う。数学は演繹の学問のようによく言われるけどそれは半分間違いで、創造の源泉は帰納的なところにあるのだよなあ。

難しいから何もわからないではなく、簡単なものに置き換えて考えてから考えるというプロセスの重要さを感じる。足場を固めて登り続ける感じが大事だなあ。

 

scienceという言葉は科学という意味だと思っていたけどconscience(分別)という言葉に出会って自分はscienceの意味が分かってないんじゃないかと思い語源を調べたらscissors(はさみ)と同じであることがわかった。

分割して成立している体系的なニュアンスなのだと思った。だから科という漢字が当てがわれているっぽい。日本の大学は学部のことを〜科と言っているけど英語圏だとdepartmentでこれも分けられたものというニュアンスがある。そもそも分割して体系的な学問にするという考え方が東洋になかったので江戸時代には蘭学、とか国で一纏めにして〜学と言っていたが、明治維新で外来語の訳が必要になり科学という言葉ができたらしい。

江戸時代の和算とかは学じゃないのかなと思ったけど、むしろ〜術っぽい感じがする。

 

scienceが科学以外の意味で使わている例を見つけた。

 

Arbre de la science du bien et du mal (意:善悪の知識の木) (創世記)