ふわとろオムライスの作り方

言語のプールの外で

1121/17

エリッククラプトンの名言とされて広まっているもので、「ステージに上がったら自分が1番上手いと思え、ステージから降りるとき自分が1番下手だと思え」というものがあるけど本当にいいことばだなあと思う。

自分で自分を愚かだとか、下手だとか思うのは何かしらの勝負所で自信を持つために意味があるように思う。

1120/17

組織Xに所属していることを誇りに思うということは日本人にとって自然な感情なのだと思う。

こういうことをそこらへんで言うと顰蹙を買う可能性があるので、あまり言わないようにしているが、僕は母校という言葉が嫌いだ。

好き嫌いに全てが従うべき理由はないので好きな人はいくらでもその言葉を使ってくれて構わないが、僕は嫌いなので絶対に使わない。母+校、母艦とか母星とか、組織Xに所属に何かが所属しているとき母Xと表現することが慣用となっている。これは、子どもが母に所属しているという認識から自然に推論して生まれた言語表現である。

日本人は組織に対して母に対するものと同じような感覚を抱いているということになる。ある調査ではで日本人は自己紹介してくださいと言われて自分の所属組織を答えることがとても多いという話を聞いたことがある。

 

結局、僕が、家の外、社会的な領域にあるものに甘え的な感情を持ち込むこと、組織で仲良しこよしするのが嫌いだということがわかる。学校は、僕のアイデンティティに関わってこない、ただ利用する施設でしかないという立場に立っている。

 

ところで英語でmother schoolのような表現は聞いたことがないが、ここから学校に対する認識の違いが見えるという話の筋はアリだろうか?

motherですぐ思いつくものだとmother tongueが挙げられる、舌を母で修飾するというのはどういう気持ちなのだろう、幼少期の母との密着の中で獲得される言語という感じだろうか。mother shipは先の組織Xの考え方と同じ。

1116/17

今日は自分のことを愚か者だなあとよく思う日だった。

愚か者はより愚かになっていく。つらい。

 

急いで答える者は、急いで間違う という格言がある。

僕は頭の中が散らかってるので紙の上に書くことも散らかってしまう。

急いで慌てて答えを出そうとするのよくない癖だ。

落ち着いて紙の上で整理して考えるということをしたい。

いろいろな試験のせいで急ぐことが良いことだと刷り込まれてしまったのか、

ADHD気味の脳のせいなのか。

 

頭の中を落ち着ける。一歩戻って考える、紙にちゃんと書いてみる、大事。

忘れたら調べる。わからないことを明確にする。分割して考える。

深呼吸してから、答えだという確信を持ちたい。ふえぇ。

1113/17

考えても答えが出ないようなことを考えて理性の無駄使いをするよりは、定式化された問いを探す、または自ら立てて定式化し考えることが、よい理性の使い方だと思った。

 

人は忘れる生き物だけど、最近忘れることが本当につらいので紙などに書いたり読んだり、一つの到達点として形にして残したりすることに尊くさ感じる。頭の中に何もかも置いておけるわけじゃない

1111/17

冷蔵庫に押し込んでいた料理が腐り始めるような感じで、人生が無意味だという事実が臭い始めたので困っている。そして、そんな困っている人の精神は理性を使っていろいろな形而上的なものに人生が無意味と感じる理由を探し始めるけれど、全くもって理性の無駄使いなのであった。インターネットをやめたり、美味しいものを食べたり、毎日9時間寝るとかの方向性で頑張ったほうがよい、人間の体や脳の構造は1万年前と大して変わってない、文明によって押し込められた僕らの本能が理性を通して訴えかけてきているだけなのだから。そういうわけで、今日は理性について何かを書き残したい気分になった。

 

理性の無駄使いという言葉が気に入っている。理性はうまく使わないと身を滅ぼす。そもそも理性がない人もいるような気もするけど確かめようがないことだ。理性のうまい使い方とは....。

 

「り、理性を使ってみては? 一瞬、苦痛をまぎらわす、頼もしいものなんですが…」 (ミッションちゃんの大冒険/模造クリスタルより)

 

有名なセリフだけれど、理性を使いすぎると何が苦痛なのかすらよく分からなくなってくるのではないですか?

もっとも、生物にとって苦痛なものであるはずの死に、自ら飛び込んでいく人間もいる、それは理性という手形を発行して借金し苦痛をやり過ごし続け、苦痛が苦痛であることを忘れ、借金が返せなくなり破産してしまったからなのかもしれない。

セネカの「生の短さについて」で、お金を他人に何の理由もなく差し出す人はいないが、何故か時間に限っては、人々は他人に簡単に差し出すのだ、のようなことが書かれていてうまいこと言うなあと思ったけれど、こんな感じで、理性も知らない間に他人に売っているのかもしれないですね。

 

1日やるべきことが終わればよいなあ。理性はそのために使うといいのでしょうね。閃きも使うべきところで使うから光るのであって、常に何か心を満たしてくれるような面白い閃きを求めていても仕方がない。

考えるべきことを考える時に考える能力が大事だと、ラッセルも言っていたし....

 

P.S.

脳の中で神経伝達物質が足りてない気がする、コンサータ欲しいんなぁ...

1107/17

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休憩時間にiPadのswift playgroundで小学生になったつもりで遊んでみた。

今の小学生はこういう形でプログラムに触れ始めるということがわかった。

 

"Making mistakes is actually one of the best ways to learn something new and remember it for a long time!"

 

刺さる言葉だ...

自身の成功体験ばかり思い出すのは人間の本能だけど、そこに至る試行錯誤や失敗を忘れがちなのだよなあ。

 

暇つぶしに日本の厚生労働省のwebページで人口統計を見る。

政治家は少子化対策を掲げるが、そんな対策は焼け石に水で無意味であり、もう人口が減るのは決定事項だと仮定して、急激な人口減少にいかに社会が対応するのかを考えた方がいいのではという気がする。

社会の過半数がヤバいと言い始めないとヤバいと思えないのが1番集団の中でまともな人間であると思う。

崖下に落ちていく羊の群れ、または、はぐれた子羊、または、羊の群れを狙う1匹の狼の、どれに属したいか?

羊はかわいい。

疑問: 対象をかわいいと思うことと、嗜虐欲を感じることの関係。

 

最近はマーフィーの法則というジョークが好き。起こってほしくないことはいつも起こる。

似たようなことを言うならば、落ちてほしくないものはそもそも高い所に置かない方がよい。つまり高層ビルは途中の階からはコンクリートではなく真綿で作るのがよい。

1101/17

IPad用のキーボードを買った。

今そのキーボードで書いてみている、折りたたみ式でBluetooth接続という仕様。

IPadでプログラムのコードを書く練習をしようと思って購入した。iPadをいかにノートパソコンみたいに使えるかという試み。

最近思ったけれど、プログラムも数学も自分で1から考えようとするより、本やネットにある情報を参考にしてる方がどんどん新しいことが身につくし明らかに効率が良い、鵜呑みにするのはよくないが...。

昔の自分は自分のやり方でやることにとてもこだわりがあったけど、そういう妥協的なほうが今はうまくいく気がする。

プログラムはコピーペーストが基本で、どう書くかより何を書くかという方が大事っぽいし、いろいろな言語も何がしたいかで使い分けるだけなので、どういう書き方が好きとか、どの言語が好きとかいう感性の話はプログラムではナンセンスなのかなあと側から見ていて思う。本に書いてある関数を全部覚えようとするみたいな学び方はよくないらしい、何がしたいかという目標に対して必要なものを調べればよいみたいな感じだろうか。わかる気がする。数学もやはり目標を意識することが大事だなあ。何が示したくていろいろな記号や定義や定理の準備をしているのか考えながら読む方がよいなあ。前から後ろに読むのではなく、あっちこっちに飛びながら、何が目標なのかを確認する。 今、自分が本の中のどこにいてどこに向かっているのかを俯瞰しながら進んでいく感じ。