ふわとろオムライスの作り方

言語のプールの外で

1206/17

新書とかちょっとしたものは電子書籍でいいけど、体系的に書かれていたりするもの、教科書や辞書類は紙の方が良いなあと思った。

めくっていると調べていること以外のいろんな情報が目に入ってくるのがよい。iPadや電子教科書は便利だけど紙に勝てない部分があると思う。いいところ取りしたい。

1205/17

だらだらと経済関連のニュースをwebで見てたら「恋愛に向いてるひとは株や投資に向いてない」と書かれたページを見つけて笑ってしまった。(リンクはしない)

ほとんどの人間は感情的な生き物なので、恋愛に向いている、反面、株や投資は感情を排した、論理と客観的な判断の世界であるから、感情的な人が参加すると、儲けたいという感情や、こうだったらいいなという希望的観測により盲目になり判断を間違って一瞬で財産を失う、という主張だ。

とくに株や投資はやってないのだけど、自分はとても向いている気質かもしれない。

悲観や厭世は文学や哲学や芸術では役に立っても、全く現実世界には良い結果を与えてくれないもの、むしろ負の影響を与えるものだと思っていたけど、なるほど、いいこともあるのかもしれない。

 

対人ゲームが好きなのだけど、CPUと戦って勝つより、人間に勝つ方が楽しいと感じる。さらに負けても一切腹が立たない。「負けても腹が立たない」というのはある種の才能だと思うことにした。

おそらく、勝つことそのものより、勝ち方を考えるのが好きだからだと思う。たまたま、運で勝っても何も楽しくない。

そういえば、自分というプレイヤーの行動に対して、相手が読んでくる内容の、さらに裏をかくようなことをするというのが、1番対人ゲームで相手に刺さる戦法だと思っている。2015年のスプラトゥーンでは、そういう一瞬の駆け引きが楽しすぎた。

「予想されるパターンからの逸脱」からの逸脱、というものが、世界ではとても重要なのではという気分になってくる。メタのメタ。物理で運動は速度ではなく、加速度に支配されている感じに近い。

面白いと思うのは、メタのメタは重要だが、さらにメタのメタのメタまでは考える意味がない、というところだ。

加速度を時間で微分した量には名前が付いていない、つまり考えてもあまり意味がないということだ。

 

ポップスの作曲などでは、ありきたりなフレーズに捻りを入れることが1番重要だ。捻りとはリズムが前のパターンからすこし外れたり、調号が付いたり、代理コードなど普通でないハーモニーを当てたりすることで得られる。しかし本当にセンスが問われるのは捻り方であって、ありがちな捻り方をしてしまうと、捻りの意味がなくなり、もはや陳腐化してしまう。逆に、予想外の捻り方をされると絶対に聴いていて楽しくなってしまう。

1203/17

土曜日は1週間の疲れで午前~昼が完全に無になってひたすら寝てしまう。金曜日の夜に全ての神経を疲れされるようなものと関わるのをやめれば土曜日を元気に過ごせるのではという真理に気づき始める。

 

3pomodoro作業したあとの休憩時間に日記に書いている。

勉強のまとめを書く。ルベーグ積分について。確定した性質は集合として数学的な対象となるという集合論の思想を取り入れることによって定式化された。集合Aを覆う、というのは性質であるから、Unionを取ってAを覆うような可算無限個の有界区間をとる。これがAを覆う可算無限個のパネルや箱で、さらにこの区間一つ一つの面積または体積の無限和の集束値たちは、またしても実数の集合の中で確定した性質を満たすものであり、この実数集合のinfを外測度と呼ぶことにした。

外測度が0の集合を、零集合と呼ぶ。

零集合は体積がゼロの集合を包む概念で、ユークリッド空間においては、体積ゼロならば零集合である。 また、体積確定でないが、可測で測度が0となるような集合がある。たとえば実数閉区間[0.1]上の有理点の集合など。

コンパクト集合では体積ゼロであることと、零集合であることは同値である。

(まとめおわり)

今から関数fがある区間上リーマン可積分であることと、ある区間上でのfの不連続点が零集合であることが同値である証明を読みます。目がつらいにゃん。

 

1128/17

めんどくさいことをすぐ投げ出して他のことをする癖がある気がする。対象には辛抱強く向き合った方が良い。

数学で、最初わからなかった概念を無意識に放り込んで1週間ぐらいおくと、(概念が)めちゃくちゃ自然だと感じるようになってくる現象は何なんだろう。n次元で成り立つ定理や概念はやはり1〜3次元で確認しておくことが必須だなあと思った。いきなりn次元で考えるのは全然良いことではなくて1〜3次元の例から帰納して考えることがとても大事だと思う。数学は演繹の学問のようによく言われるけどそれは半分間違いで、創造の源泉は帰納的なところにあるのだよなあ。

難しいから何もわからないではなく、簡単なものに置き換えて考えてから考えるというプロセスの重要さを感じる。足場を固めて登り続ける感じが大事だなあ。

 

scienceという言葉は科学という意味だと思っていたけどconscience(分別)という言葉に出会って自分はscienceの意味が分かってないんじゃないかと思い語源を調べたらscissors(はさみ)と同じであることがわかった。

分割して成立している体系的なニュアンスなのだと思った。だから科という漢字が当てがわれているっぽい。日本の大学は学部のことを〜科と言っているけど英語圏だとdepartmentでこれも分けられたものというニュアンスがある。そもそも分割して体系的な学問にするという考え方が東洋になかったので江戸時代には蘭学、とか国で一纏めにして〜学と言っていたが、明治維新で外来語の訳が必要になり科学という言葉ができたらしい。

江戸時代の和算とかは学じゃないのかなと思ったけど、むしろ〜術っぽい感じがする。

 

scienceが科学以外の意味で使わている例を見つけた。

 

Arbre de la science du bien et du mal (意:善悪の知識の木) (創世記)

1121/17

エリッククラプトンの名言とされて広まっているもので、「ステージに上がったら自分が1番上手いと思え、ステージから降りるとき自分が1番下手だと思え」というものがあるけど本当にいいことばだなあと思う。

自分で自分を愚かだとか、下手だとか思うのは何かしらの勝負所で自信を持つために意味があるように思う。

1120/17

組織Xに所属していることを誇りに思うということは日本人にとって自然な感情なのだと思う。

こういうことをそこらへんで言うと顰蹙を買う可能性があるので、あまり言わないようにしているが、僕は母校という言葉が嫌いだ。

好き嫌いに全てが従うべき理由はないので好きな人はいくらでもその言葉を使ってくれて構わないが、僕は嫌いなので絶対に使わない。母+校、母艦とか母星とか、組織Xに所属に何かが所属しているとき母Xと表現することが慣用となっている。これは、子どもが母に所属しているという認識から自然に推論して生まれた言語表現である。

日本人は組織に対して母に対するものと同じような感覚を抱いているということになる。ある調査ではで日本人は自己紹介してくださいと言われて自分の所属組織を答えることがとても多いという話を聞いたことがある。

 

結局、僕が、家の外、社会的な領域にあるものに甘え的な感情を持ち込むこと、組織で仲良しこよしするのが嫌いだということがわかる。学校は、僕のアイデンティティに関わってこない、ただ利用する施設でしかないという立場に立っている。

 

ところで英語でmother schoolのような表現は聞いたことがないが、ここから学校に対する認識の違いが見えるという話の筋はアリだろうか?

motherですぐ思いつくものだとmother tongueが挙げられる、舌を母で修飾するというのはどういう気持ちなのだろう、幼少期の母との密着の中で獲得される言語という感じだろうか。mother shipは先の組織Xの考え方と同じ。

1116/17

今日は自分のことを愚か者だなあとよく思う日だった。

愚か者はより愚かになっていく。つらい。

 

急いで答える者は、急いで間違う という格言がある。

僕は頭の中が散らかってるので紙の上に書くことも散らかってしまう。

急いで慌てて答えを出そうとするのよくない癖だ。

落ち着いて紙の上で整理して考えるということをしたい。

いろいろな試験のせいで急ぐことが良いことだと刷り込まれてしまったのか、

ADHD気味の脳のせいなのか。

 

頭の中を落ち着ける。一歩戻って考える、紙にちゃんと書いてみる、大事。

忘れたら調べる。わからないことを明確にする。分割して考える。

深呼吸してから、答えだという確信を持ちたい。ふえぇ。