ふわとろオムライスの作り方

言語のプールの外で

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ハンドスピナーは回して遊ぶだけでなく目を高速に瞬きするとストロボ効果も見て遊ぶこともできるから楽しそう。

ストロボ効果をwikipediaで検索してみる。

 

”ストロボ効果は折り返し雑音の一種であり、連続的な動きが一連の短い/瞬間的な標本列で表されるときに発生する。動く物体を連続ではない一連の標本で表したとき、その動きが回転や何らかの周期的動きで、かつその繰り返しの周波数とサンプリング周波数が近いときに現れる”

 

折り返し雑音というページに飛ぶと、ピクセル処理するとレンガの壁の画像に縞模様ができてしまう現象について書いてある、なるほど、パソコンの画面とかを写真で取ると縞が出来てしまうのと同じ概念なのか。

 

概念がある概念の一部にしか過ぎないということがよくある、数学では顕著で、真面目に数学の言っていることを信じよう(盲目的に)とするほど、常にちゃぶだい返しをされている気分になる(らしい)。「今まで行列とか真面目に計算させてきたけど、実は線形写像を具現化する方法だったんですよね」みたいな。

 

ある概念についてよく知りたいときはそれが属する包括的な概念について知ろうとすることがよりよい理解に繋がるし、概念を自然に感じやすくなることもある気する。

 

概念と仲良くなる秘訣は、その親概念とも仲良くなること。

 

イプシロンデルタ論法をドヤ顔で高校生に教える数学教師がいたという話を聞いた。他人の作った絵や曲をドヤ顔で見せているのと一緒のように感じてしまい意味不明だなと思ってしまう。イプシロンデルタ論法は中学生でもわかると聞いた、ただ日常生活で述語論理や形式に慣れてないので難しく感じる。

述語論理や形式は人が発明した道具で人間の認知パターンに依存していると思うし、数学というより論理学的な側面が強い。

三段論法というのはとても優れた形式だ。三段論法を使って推論を行うとちゃんと真実を得ることができる。(数学序説:吉田洋一・赤囁也を読んでいて分かった)

よい形式から推論をすると真実を得ることができる、学校教育の数学の影響からか、人の数学的営みとは推論の方のイメージが強いけれど、よい形式を発明することも数学者または論理学者たちによって行われてきたのだなあと。

バートランド・ラッセルの高階述語論理に関する仕事がどんなものだったのか知りたいなと思っているけど何にも知らないので面白そうな本を探してる。

 

明日は意識の消耗について書きたい。ペットボトルが部屋に溜まって意識を消耗させてくれる話がしたい。