ふわとろオムライスの作り方

言語のプールの外で

1217/17

文章を書く気力がなくなって来ている気がする。気力が欲しい。

「やる気がない時に部屋の掃除を始めたくなるのは自分の行動で周囲の環境が何らかの改善されることを確認している」そうだと思う。

学習性無気力とか脳科学とかのことが思い浮かぶが、どんな些細なことでも周囲をよくする行動をすることには意味がある。まあ、よくなったから何だと言われたらおしまいであるが...

 

よく目にする「人生は楽しまなきゃ損」こういう価値観は先進国での自殺に繋がると今日思った。(何か)を楽しむのは良いことだと思うが、そこに人生を代入するのはどうなのか。 楽しめない人の人生はひたすらマイナスの存在になってしまう。楽しんでる人もアウシュビッツのようなところにぶちこめば、とたんにその価値観は崩壊してしまう。極論、1番楽しい時に苦しまずに自殺するのが最強になってしまう。そういう自殺をした女子中学生がいた気がする。遺書に1番楽しいときに消えたい!みたいなことを書いていた。 

人生を絵を描くことに喩えることがある。「描き続ける画家はいない。手を休めて全体を見て、また描き始め完成を目指していく。」みたいな名言あった気がする(適当) そうだねえ、例え絵が完成して、蛇足だとわかっていても手が止まるまで描くことをやめられないのが人生で、その中で最良の絵にするというのが、自殺しない人にとっては基本方針になると思います。文章を丁寧に書くことがめんどくさくなってきたのでここでやめます。