ふわとろオムライスの作り方

言語のプールの外で

1218/17

クラシックの教育は全く受けてないけど、アンリ・シャランの和声課題が美しい(?)ということをずいぶん前から知っている。いつか理解してみたいなあと思うけど、最大の障害は楽譜の議論があんまり得意ではないところにあるので、今は簡単な楽譜を早く読む練習をしています。

音楽は人の作品からは学ぶことが大いにあるけど、人から学ぶものでもないような気がしていたので、学校も専門学校にも行く気になれなかった。

和音のルールに禁則が多いのはある面、凄く良いことだと思う。やっていけないこと以外やってもいいという点で自由だ。

感性の邪魔をされたくないとも思う。この和音がおしゃれですとかこのよう和音は〜な場面で使えるでしょうみたいな、そういう感性の押し付けは感心しない。

 

僕は数学科に在籍しているけど、数学もきっと、人からは学ぶものではなさそうだと思う。人の数学的遺物から学ぶことはたくさんあるだろうけど、本当に数学を楽しんでる人、研究者の人は、数学という砂場で遊びつづけてるのだと確信している。僕は、あんまり数学での遊び方がよくわかってないのかもしれないと思った。音楽なら無限に遊ぶ自信があるけど....

遊べるかどうかが重要で、音楽も数学もそこに何も違いはない。

数学はたまたま、義務教育や高等教育の科目になっているだけだ。たまたま、科学が台頭している現代における記述ツールになっているだけだ。

 

自分の無限に遊べる分野を作って、かつ、能力を自分で伸ばして行くべきなのだと思う。