0213/18
雑感
どれだけ哲学が好きでも哲学科になんかは行くところではないという思い込みがあった
そもそも哲学科という場所があることを知らなかった、割と数学についてもそういう思いだったが...
哲学は新しい世界観を提供するだけで、真偽判定が可能なことや真理について触れようとしているわけではないのではないかという思いが最近はしている。哲学科の人に普段何を考えているのか聞いてみたい。
哲学というのは、もはや人の気質な気もしてくる、どれだけ哲学について詳しくてたくさんの思想家の名前を挙げて説明できても、その人自身から哲学のにおいがしてこないと、ただ勉強熱心な人という気がしてしまう。
音楽の話
中古のバイオリンを探している。
イギリスの路上とかで民族音楽を演奏してるおじさんみたいなやつになりたい。
楽器は他人から習うものという日本人の思い込みを逸脱できるようにやっていきたい。
(ただ音を出すのが楽しいだけだけど)
弦は打ち込みと生の違いが大きいので弾いてるとアーティキュレーションの理解に繋がり、ストリングアレンジとか捗るはず。
家の作業スペースをもっとよくしたい。今は机が小さすぎる。
LaunchpadとLiveを使いこなしたい。
大学の話
授業を聞いて黒板をノートに写すという行為が、小中高大とやはり一回もできなかった。
ただやる気がないだけだと思っていたけど、やる気以外の原因がある気がする。
そういう人は大勢がやってるやり方とは違う方法でやっていかねばならない。
関連書籍や英語版wikipediaとかを読んでおいて、手を動かし自分の雑感や問題意識をiPadのメモにひたすら蓄積して検索可能しておく。読んだ量に対して自分で手を動かした量がかけ算で効いてくる。
講義はテスト範囲と日時と単位取得条件を聞くためだけに出る。すでに読んで書いたことならだいたいわかってるので、適当に本を読みながら講義室に存在する。他の用事があるならサボる。これなら先生の話に集中して板書を書き写すというしんどい行為もしなくて済む。
最近ひらいた本の話
「物理数学の直感的方法」長沼伸一郎著
>〜は高校時代、はたからみるとあきれるような誓いを頑なに守り続けた。
>それは、数学と物理に関しては授業からも人からも聞くこともならず、教科書や参考書は目次以外の項目は見てはならないというものであり....
こういうことをする人が存在するという事実が面白いなあと思ってしまう。
たぶんこの人はなにか根本のアイディアが生まれる瞬間を追体験したい、感じたいという欲望に動かされてるのだと思う。僕も昔は答えや解説を見るのが嫌で仕方がなかった。
誰かがアイディアを思いついたときのそれは、誰でもわかる形をしているが、その後の秀才たちがエレガントな形に整備しきってしまうと、根本の発想が見えなくなってしまう。
作曲においてもモチーフが編曲されて曲になる。編曲という作業はより曲をエレガントにするために行われる。
パッと聴いてよくわからないけど美しくて凄くするのが編曲。モチーフを思いついた瞬間のわかりやすさは徹底的に隠す。なぜなら、すぐわかるようなものには価値がないと思われてしまうから。とにかく深淵さを出せば出すほどいい編曲になる。 数学も完全にこれ。
プログラミング
segmentation fault(コアダンプ)つらい