ポケットモンスターキミにきめた!を見に行った

エモいシーンがあったので書いておく

サトシは旅の途中でライバルとの闘いに負け、逃げた森の中で彷徨っているうちに眠ってしまい夢を見る。そこはポケモンがいない世界で、サトシは学校にいかなければならない。ママに急かされ、遅刻しながらも校舎にたどり着くとオーキド「先生」がいる。挨拶をして教室に行くとサトシは宿題を忘れたことに気づく、「虹は空気中の水蒸気に光が屈折して起こります....」などと先生が解説している、授業が終わってつまらなさそうに屋上から遠くを見つめるサトシ。そこに夢の中のトウジとマコトが表れてこんな会話のやりとりをする、サトシ「この景色の先には何があるのかな?」トウジ「きっと街があって川があって、また街があって...海に出るかもしれない」サトシ「その先にいったら?」トウジ「また街があって...その繰り返しさ」

 

サトシは10歳になったらポケモンと旅をするような世界の住人であり、学校がある世界など知るよしもないので、こんな夢は見ないはずであるから、これは少年時代の視聴者たちが現実に対し抱いている感情に寄り添うための演出なのだと思った。

ただの繰り返しの連続、先がわかってしまうものほど面白くないものはない、小さいときに地球儀が好きだったが、一度どんな国があるかわかってしまうと急速につまらなくなってくる。行って目で見て確かめるしかなかった大航海時代の人たちはさぞかし楽しかっただろうなあ、ズルいなあと思っていた。なのでこのシーンはとてもキャッチーだ。

 

そのあとサトシは、ピカチュウといればどこに行ったって面白い体験ができてワクワクする!ようなこと(よく覚えていない)を言ってピカチュウを求めながら目を覚ますと、目の前にはピカチュウがいた...という話だった。

 

現実のつまらなさは人間の膨大な創作の多さが証明している。つまらなさから逃れるために少年たちはゲームをやったりアニメを見たりする。それが視聴者世代にとってはポケモンだった、という解釈をするか? もうひとつありそうなのは、誰かと共に何かを体験するということが現実の圧倒的なつまらなさに対する対抗手段なのかもしれないということかも? あと実際に体験するということは重要だ。海に行ったって水と砂しかないよ言いたくなるが、海水には温度があって、意外に冷たかったりする、驚きを感じて脳が動き出す、思考よりも体験が心を動かしていく、最近はそんな気がしてきた。