ふわとろオムライスの作り方

言語のプールの外で

1111/17

冷蔵庫に押し込んでいた料理が腐り始めるような感じで、人生が無意味だという事実が臭い始めたので困っている。そして、そんな困っている人の精神は理性を使っていろいろな形而上的なものに人生が無意味と感じる理由を探し始めるけれど、全くもって理性の無駄使いなのであった。インターネットをやめたり、美味しいものを食べたり、毎日9時間寝るとかの方向性で頑張ったほうがよい、人間の体や脳の構造は1万年前と大して変わってない、文明によって押し込められた僕らの本能が理性を通して訴えかけてきているだけなのだから。そういうわけで、今日は理性について何かを書き残したい気分になった。

 

理性の無駄使いという言葉が気に入っている。理性はうまく使わないと身を滅ぼす。そもそも理性がない人もいるような気もするけど確かめようがないことだ。理性のうまい使い方とは....。

 

「り、理性を使ってみては? 一瞬、苦痛をまぎらわす、頼もしいものなんですが…」 (ミッションちゃんの大冒険/模造クリスタルより)

 

有名なセリフだけれど、理性を使いすぎると何が苦痛なのかすらよく分からなくなってくるのではないですか?

もっとも、生物にとって苦痛なものであるはずの死に、自ら飛び込んでいく人間もいる、それは理性という手形を発行して借金し苦痛をやり過ごし続け、苦痛が苦痛であることを忘れ、借金が返せなくなり破産してしまったからなのかもしれない。

セネカの「生の短さについて」で、お金を他人に何の理由もなく差し出す人はいないが、何故か時間に限っては、人々は他人に簡単に差し出すのだ、のようなことが書かれていてうまいこと言うなあと思ったけれど、こんな感じで、理性も知らない間に他人に売っているのかもしれないですね。

 

1日やるべきことが終わればよいなあ。理性はそのために使うといいのでしょうね。閃きも使うべきところで使うから光るのであって、常に何か心を満たしてくれるような面白い閃きを求めていても仕方がない。

考えるべきことを考える時に考える能力が大事だと、ラッセルも言っていたし....

 

P.S.

脳の中で神経伝達物質が足りてない気がする、コンサータ欲しいんなぁ...