ふわとろオムライスの作り方

言語のプールの外で

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だらだらと経済関連のニュースをwebで見てたら「恋愛に向いてるひとは株や投資に向いてない」と書かれたページを見つけて笑ってしまった。(リンクはしない)

ほとんどの人間は感情的な生き物なので、恋愛に向いている、反面、株や投資は感情を排した、論理と客観的な判断の世界であるから、感情的な人が参加すると、儲けたいという感情や、こうだったらいいなという希望的観測により盲目になり判断を間違って一瞬で財産を失う、という主張だ。

とくに株や投資はやってないのだけど、自分はとても向いている気質かもしれない。

悲観や厭世は文学や哲学や芸術では役に立っても、全く現実世界には良い結果を与えてくれないもの、むしろ負の影響を与えるものだと思っていたけど、なるほど、いいこともあるのかもしれない。

 

対人ゲームが好きなのだけど、CPUと戦って勝つより、人間に勝つ方が楽しいと感じる。さらに負けても一切腹が立たない。「負けても腹が立たない」というのはある種の才能だと思うことにした。

おそらく、勝つことそのものより、勝ち方を考えるのが好きだからだと思う。たまたま、運で勝っても何も楽しくない。

そういえば、自分というプレイヤーの行動に対して、相手が読んでくる内容の、さらに裏をかくようなことをするというのが、1番対人ゲームで相手に刺さる戦法だと思っている。2015年のスプラトゥーンでは、そういう一瞬の駆け引きが楽しすぎた。

「予想されるパターンからの逸脱」からの逸脱、というものが、世界ではとても重要なのではという気分になってくる。メタのメタ。物理で運動は速度ではなく、加速度に支配されている感じに近い。

面白いと思うのは、メタのメタは重要だが、さらにメタのメタのメタまでは考える意味がない、というところだ。

加速度を時間で微分した量には名前が付いていない、つまり考えてもあまり意味がないということだ。

 

ポップスの作曲などでは、ありきたりなフレーズに捻りを入れることが1番重要だ。捻りとはリズムが前のパターンからすこし外れたり、調号が付いたり、代理コードなど普通でないハーモニーを当てたりすることで得られる。しかし本当にセンスが問われるのは捻り方であって、ありがちな捻り方をしてしまうと、捻りの意味がなくなり、もはや陳腐化してしまう。逆に、予想外の捻り方をされると絶対に聴いていて楽しくなってしまう。