ふわとろオムライスの作り方

言語のプールの外で

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とくに決意もなく杉浦解析Ⅰを去年の10月から触り始めた。3ヶ月で70ページぐらい読んだ気がする。

演習問題は気が向いたらやる程度だが、単純計算で1冊、400ページ読むにはこのペースでは1年半年かかることになる。

数学書を読むには半年〜1年かかるのが普通だそうだ。

マジでヤバいと思うところは、そもそも今まで、生きてきて1年で何かをこなそうと思ったことがない、ということだ。僕には根本的に計画性がない。生まれつき性格がそうだとしても、そもそも、親が1年かけて〜をするぞ!などと言って、やってるところを見たことが僕にはない。親が何か計画を立ててやっているところを、そもそも見たことがない。

受験数学などは、目先の面白そうな問題に飛び付き続けて解いていくだけで力がついていくのでよかったが、数学書を読むということはこういうやり方ではとても対処できるものではない。

数学ができるとは、自力で応用したり解法を生み出せることだと勝手に思っていたが、

単純に数学書を読む早さと暗記力なのではないか?

 僕は最低限のことを考える。あとのことは本に考えてもらう!という態度がいる。

人生レベルで数学書に啓発されている気分になってしまう。

 

馬鹿なので本を読む。本を読むことは恥。本を読んでることを自慢する人間はさらに大馬鹿者なのかもしれない。なぜなら世界そのもの読める人は、世界について他人が書いた本を読む必要がないから。などと、人を怒らせるような極論を言うのは楽しいけれど、

僕らは馬鹿であろうがなかろうが本と文字を読むしかない。そして読んだ人の方が大抵賢い。

労働者階級である以上は、肉体労働と、本を読むことを常に天秤にかけて考えねばならない。

 

数学書を読んで問題を解かない人は、音楽理解の本を読んで作曲しない人と同じくらい馬鹿だ!!!