0206/18 No.2
図書館にクラシック音楽の雑誌があったのでパラパラと読んでみた。9割つまらなさすぎてびっくりした。
演奏家とか愛好家が曲のレビューしているけど、音に対して優美だとか悲壮感だの形容詞がうるさい。ここで鳥肌たちましたとか、ここ踊れるとか頭振りながら聴いてますとかの方が読んでる方もわかると思う。やはり音楽を言葉で表現する意味がわからない。
まあまあ面白かったのは吉松隆さんと、もう1人作曲家の人のコラムだけだった。
ちょっと面白いと思ったのは曲の編曲や形式などの構造を分析しているレビューだった。
吉松隆さんが松村禎三さんとの会話で作風について考えてるくだりがおもしろい。
松村さんがラヴェルをいくら真似してもラヴェルにならない、強力な個性があると吉松隆さんは言う。
普通真似しようとしたら痕跡が残るのに、それが全く見当たらない これは凄い。と言う。
作曲家の才能とは音楽を自由に操れる才能とは全く違うと、断言している。おもしろい。
作曲家は自分の曲の意味を知ることは永久にないのでしょうねという言葉もとてもおもしろい。
作曲はある種の精神のトリップ状態からのおみやげだと思う。その場所に行けなくなったらもう手に入らない。
おみやげだけが残る。接続が切れないうちに宝をせしめに行く感じ。
逆に毎日一個ずつ音符書くような人もいるかもしれない。ー
松村禎三の交響曲第一楽章冒頭はラヴェルのダフニスとクロエの第2組曲冒頭、
管弦楽のための前奏曲はボレロが元ネタと、書いてある。聞き比べてみようと思った。
才能とか別に無くてもいいからとにかく現物を作って残し続けないと人生は無になるなあと痛感。