ふわとろオムライスの作り方

言語のプールの外で

0205/18

だめだ〜自分という人間はすでに一回死んでる気がするので一回も死んでない人と張り合える気がしない。

みんなが闘ってるようには闘ってはいけないんじゃないかと思う、次死んだら本当に死んでしまう。

良い撤退戦をやるしかないのでは...

 

体力つけて筋トレでもすれば世の中の激流に飛び込んでいけるかもしれないけど、

もう勝負することに価値を感じない。

0204/18 (2)

何でエンジニアだけ勉強し続けなければいけないのだろう、というエンジニアの人のツイートがTLに流れてきてうーんと思ってしまった。

勉強勉強と、勉強を美化する人も所詮ポジショントークな気がしてきた。外部からの要求で勉強しなければならない状況に陥ってることを正当化しているだけなのでは。

一瞬で価値が陳腐することを外部からの要求で学び続けないといけないとかただの苦行でしょう。リターンが大きければいいが、そうでもないから不満なんだろうな。

陳腐化という言葉を知らない人の方が世の中多そうだなと思う。

 

自分から目的意識があって学ぶ、調べるのはとても良いことだと思う、年老いていくと人は学び続けられない。頭の瞬発力が落ちていくので。

 

うあ〜 無!  そろそろわかってきた、自分の幸せは、楽な仕事で安い給料を貰いながら、ずっと本読んだり音楽作ったり聴いたりしてたいだけということが...

さようならインターネットのみんな!  神はインターネットにいない。

生きてる人の言うことなんか聞いちゃいけない。死んだ人が本で言ってることには価値がある。

インターネットを見てると本当に目が腐る、インターネットさようなら...

ブルースクリーンより青空見てた方がマシですからね 

0204/18

ADHDは実行機能の障害であるという新しい説が面白いなと思った。

ランニングと音読がいいらしいので、英語の本読みながら家の周りを走り回ってました。

1日20分でいいから続けようかなと思った。

 

アコーディオンフィドルが欲しい、アコーディオンはとても高価なのでフィドルにしようかな。

クラッシックもいいけど先にアイリッシュ音楽と弾いてみたい。

 

読譜力と読譜速度、採譜力を上げて弾き倒しまくれば絶対よくなる気がする。

バイオリンって開放弦がGADEなんですね、完全5度 5度  完全4度という間隔で並んでいる。

ギターの2弦〜5弦と同じ状況。 フォームとか姿勢も大事そうだけどピッチさえ合えば、

すぐ和音も弾けて楽しそう、メロディに対して短3度か長3度でハモリつつ、頭とか和音を提示するところで1弦でルートとか押さえたらなんかそれっぽくなるんだろうなと空想。実際難しいんだろうと思いますが。

 

読譜力もいいですが数学書を読む速さも上げてください、日本語と英語だけ早く読めるのは自然言語脳。

普通義務教育で養われるのは自然言語能力しかないからまあ仕方ない。

 

そういえば外を走ってたときに保育園で飼われてる鳥がいて通りすがりにチュンチュン言ってきたので声で応えたらリズムよくチュンチュン返してくれた。鳥は音やリズムわかってるんだなあと思った。音で分かり合える。

 

youtubeMax/mspとかSupercolliderでコーディングしながら曲を作ってる人がいてすごかった、

たくさん音作って、ライブラリ構築したら面白そうですね。

Max/mspは入門書があったけどSupercolliderはなんかMITが出してる英語の入門書しかなかった。

MITってすごいですね。英語が水のように読めないとマジでダメだなあ。

 

英語には英語の考え方があるので、それがわからない限り本当に理解したことにはならないんだろうなあ。

日本人が書いた英語は日本人にとって読みやすいんですよね、受験英語は素晴らしいけど日本人が編集してるので、いろいろ日本人の感性で拾えなかったニュアンスが抜け落ちてるということが絶対にある。

 

Q.数学は帰納の学問ですか?  A.はい。

 

翔太と猫のインサイトの夏休み、この本は中学生のときに読んでたはずなんだけど、

今読み返しても結構難易度高い。今なら辛うじて一行一行の意味や具体例を挙げられるので成長したのかもしれない。これは99%の大人理解できないんじゃないか、99という数字に意図は全くない。大人は理解できないというより、理解する気がない。理解できないのは能力の問題ではなく、世界へ態度の問題だと思う。どういう分野でも能力より態度が大事なんだろうね。まあ中学生くらいの人にこの本を勧めてみて面白そうにしてくれる人がどれだけいるかやってみようと思います。

 

最近は、勤勉な優等生タイプの人が割と羨ましくなってしまう。ノートとか字が綺麗で、あるシステム内での上から高い評価を得ることに全力になれる人。何で羨ましいかって? だってメンタル病まなさそうだもん、圧倒的に正しい行いをして社会の中で生きて行ける能力がある人だ。

昔は僕はこういう真面目なやつはバカにしてた。勉強とか言って賢そうなフリしてるけど世界と人間の本質はわかろうとしてない、みたいに。僕は反省している。実際、世の中は勤勉で真面目かつ世界わかる能力高い人だらけです。実際、僕は世界わかってません。わかってない上に勤勉ですらないので、システム内でも他者からも全く評価されていません。いや、まず評価されたいと思うところから始めないといけないんですが....

 

 

評価の話といえば、音楽だけは近傍の他者から褒められるので嬉しいです。まあ狭い世界なのでもっと広く理解され、レベルが高いことができるようになりたい。

 

ほんとうの勤勉な人に勝てるほどの才能は全くないので、僕も勤勉になろうとし、ギリギリ適応しないといけません。

 

記憶。思い返せば昔からいつも自分は発狂しかけてたなあと、今も発狂しかけているかもしれないけどメタ認知度があがっているのでマシ。発狂してる音楽が作れるようになりたい。

 

壁の模様を見るのは楽しいと子どもは言う。みんな模様を見ている。子どものための精神医学という本で親は子どもが見ているものに対してそれはワンワンだね〜とか言うけど、それは壁と天井の繋ぎ目だね〜とは絶対に言わないみたいな、大人が概念の取捨選択をしているという一節があって、10分ぐらい爆笑した記憶がある。

あのページだけもう一回みたいなあ。

 

支離滅裂に書き下すような日記だった、何も考えずに書き散らすのがいい。

0203/18

コンサータが18mgから27mgに増えた。

やっぱり医者は医学という巨大な思想の手先なので、薬で人が治るのを見るのが快感なんだろうと思う。

僕もきっとそう感じると思う。

とにかくコンサータは社会適応するためのツールで、できれば飲まなくてもやっていける場所に身を置きたい。そもそも人々が働かなければADHDもクソもないというのが真実。

休薬期間を設ける、あと、生活でなるべく使わなくて済むようにしないといけない。

 

今日の妄想としましては、メロディとか和声課題を記録蓄積検索できるサービスがあったら面白いんじゃないかと思った、アーカイブやライブラリーというのはどんな分野でも大事なことですね。

0202/18

Episodic future thinkingが全くできないので今日、明日のことすら自分の身を予想することができない。

 

朝コンビニで食べたおにぎりとサンドイッチが薬みたいな味しかしなかった。つらい。

 

何もやらない→当然評価が悪い→やる気なくす、反抗的になる→何もやらない

いつも完全にこれを繰り返している

0201/18 No.2

imoutoidのiの数式の聴いてゾクゾクして泣きそうになった。やはり一音一音の意思が凄い。

何回聴いてるはずなのに飽きない、聴くたび発見がある曲はすごい。

聴くたびに発見という点で中田ヤスタカも同種のものを感じるが全く一緒ではない。

 

imoutoidの過去ブログをチラ見しているとドミナントペダルとかトニックペダルとかよく書いてるのを見る、たしかにiの数式とかもバッキングのメロディが結構ペダルしてコードを綺麗に繋いでいる感じがある気がする。もはやコードという音楽の形式的、思想的な、 """繋ぎ目"""  """接着面"""" """""ボルト(留め具)""""" が全く見えないほど、全ての要素が予想外の世界の中で調和、綺麗に繋がっている。

裏コードも使い方が洗練されすぎてて一箇所くらしか「今裏ったな」みたいなのがわからない

技術的な記事についても強迫的なほどに気持ちのよい音楽を追い求める姿勢を感じる。

 

ああ音楽に没入するのは楽しいなあ。没入すると社会生活を忘れてしまうので没入=悪いことのように最近は思ってしまっていた。つらい。

 

人生が死ぬまで人生をボコボコに殴るのをやめてはいけない。そうしないと人生の方が殴りかかってくるから。自分に対してではなく人生が存在することに怒りを感じねばならない。怒りは重要で、怒りを向ける場所がないと無限後退に陥いって憤慨対象がビッグバンくらいしかなくなる。もっとつまらないものに対して怒っていく必要がある、高校のとき記号の説明せずにf(x)を書き始めた数学教師とか、資本主義とかだ。

0131/18

とくに決意もなく杉浦解析Ⅰを去年の10月から触り始めた。3ヶ月で70ページぐらい読んだ気がする。

演習問題は気が向いたらやる程度だが、単純計算で1冊、400ページ読むにはこのペースでは1年半年かかることになる。

数学書を読むには半年〜1年かかるのが普通だそうだ。

マジでヤバいと思うところは、そもそも今まで、生きてきて1年で何かをこなそうと思ったことがない、ということだ。僕には根本的に計画性がない。生まれつき性格がそうだとしても、そもそも、親が1年かけて〜をするぞ!などと言って、やってるところを見たことが僕にはない。親が何か計画を立ててやっているところを、そもそも見たことがない。

受験数学などは、目先の面白そうな問題に飛び付き続けて解いていくだけで力がついていくのでよかったが、数学書を読むということはこういうやり方ではとても対処できるものではない。

数学ができるとは、自力で応用したり解法を生み出せることだと勝手に思っていたが、

単純に数学書を読む早さと暗記力なのではないか?

 僕は最低限のことを考える。あとのことは本に考えてもらう!という態度がいる。

人生レベルで数学書に啓発されている気分になってしまう。

 

馬鹿なので本を読む。本を読むことは恥。本を読んでることを自慢する人間はさらに大馬鹿者なのかもしれない。なぜなら世界そのもの読める人は、世界について他人が書いた本を読む必要がないから。などと、人を怒らせるような極論を言うのは楽しいけれど、

僕らは馬鹿であろうがなかろうが本と文字を読むしかない。そして読んだ人の方が大抵賢い。

労働者階級である以上は、肉体労働と、本を読むことを常に天秤にかけて考えねばならない。

 

数学書を読んで問題を解かない人は、音楽理解の本を読んで作曲しない人と同じくらい馬鹿だ!!!