ふわとろオムライスの作り方

言語のプールの外で

0212/18

文字を読むことと、肉体労働することを天秤にかけなければならない。

生誕以後、あまりにも文字を読みつづけることを当たり前だと思っていたので気づかなかった。そのとき興味のあることだけを、何の得にもならない情報を読み続けることが好きだったが、社会の階層、階級を考えると僕は読む行為と肉体労働を天秤にかけて考える必要がある。

じつは、文字を読むのが不得意な人は肉体労働をするしかないのだ。

僕は肉体労働をやったことないので本当はそれを天秤にかけることができないのだが、おそらく文字を読んだり書いたりするほうが僕にとっては100000倍楽だろう。

肉体労働は苦手すぎて出来ない。

 

文字を読むスキルを上げる、数式が読めるようになる、楽譜が読めるようになる、コードが読める書ける、技術書が読めるようになる、英語やフランス語が読めるようになる、論文が読めるようになる... こういうスキルは、僕の世界に対する興味や問題意識とは独立して存在する、肉体労働と天秤にかけて考えるべきものなのだ。

数式洋書技術書楽譜は読めないと本当にマズいなと思う。日本語空間はこれから衰退していくばかりなので、ろくな情報が残らず置いて行かれる。日本語版wikipediaと英語版wikipediaを見比べれば差がよくわかるし、本のタイトル一つとっても洋書は常に観察眼や切り口が鋭いものが多いなあと。日本語のプールに浸かってしまっている自分からは思える。

僕の興味と問題意識とは別に、階層階級意識と肉体労働を考えてやっていかないといけないものなのだなあと再認識した。